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『霊能者が見た 病院の怪談』から

恐怖話/『病院の怪談』: ヘッドライン
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水子はママを忘れない

 京都、化野の念仏寺……。
 むかしの偉いお坊さんが無縁仏を弔うために建立したといわれるその境内は、猛暑の夏でも肌寒く、ひっそりしています。ここでは小学生以下の子どもたちの参拝は一切禁止。 誰にも看取られずにこの世を去った孤独な魂、親の都合で闇に葬られた水子の霊は、可愛がられて育つ親子をうらやみとり憑くとか。賽の河原に積み上げられた小石にいまでも宿る水子の霊。今日も、母を慕い、愛を求めて深夜2時を過ぎると母を探して闇夜をさまいます。哀しい魂の供養を忘れると、とんでもないことになってしまいます。

 高校時代の同級生、佐藤明美(仮名)が哀しい恋を清算し、結婚。念願のかわいい赤ちゃんを出産しました。「おめでとう」の一言を伝えたくて、私は入院先の産婦人科を訪ねました。
「おめでとう。無事に出産できてよかったわね」
「ありがとう。でも、これからが大変よね」
 他愛のない会話、赤ちゃんを産み落とす苦労話、高校時代の思い出話など、あれこれ話すうちに、あたりは真っ暗。病室の蛍光灯の明かりに照らし出されて、窓ガラスに明美と私の姿が映っています。
「すっかりおじゃましちゃって」
 腰を上げようとする私をさえぎるように明美は立ち上がり、窓外に広がる暗闇を心配そうにのぞきこみ、一気にカーテンを引きました。大任を果たした充実感でいっぱいの母の顔からほど遠い明美の表情に驚いて、
「どうしたの?」
 と思わず、声をかけてしまいました。
 出産を終えたばかりの女性は、赤ちゃんのことが気にかかるもの。新米ママは、短い面会時間の間もお乳のことやあれこれが心配です。わが子に会いたくて、仲のよい友だちとのおしゃべりもそこそこに、新生児室に向かうものはずなのに、そういえば、明美は赤ちゃんの顔を見に行きません。
 ふっと、窓外に広がる闇夜の冷気が、明美の病室に忍び込んだようです。なんだか変。霊の存在を感じます。
「ねぇ、この部屋ひょっとして出るんじゃない?」
 明美は大きく息をのみ込み、こくりとうなずきました。
「病室を代えてもらったら?」
「もう、慣れたわ。それに、どこに行ってもついてくるのよ」
 どうやら明美に霊が憑いているようです。
「私でよかったら力になるけど……」
「……」
 明美はうなだれたまま、泣き出してしまいました。
「私の仕事を知ってるでしょ? 大丈夫、きっと力になれるから。だから話してみて」
 しゃくりあげる明美の肩を抱いて、私は励ますように言いました。
「私、怖くて怖くて……。妊娠してからずっと、子供のおばけにつきまとわれてるの」
「子供? どういうこと? まさか水子じゃないわよね」
 しかし、明美は否定しません。
「ほんとにそうなの?」
「私、堕ろしたことがあるの」
「裕之さんには相談したの?」
 明美の夫、佐藤裕之さんは、高齢者施設で働く介護士。その派手さで苦労して、結局は別れてしまった人とは異なり、地味だけど、安定感のある人物です。新婚当時、二人のマンションに遊びに私に、「彼にはなんでも相談できる」とのろけた明美。その日の言葉を私は覚えていました。
「できるわけないわ。だって、あの人の子供だもの」
 苦しい表情で打ち明ける明美に、私は黙ってうなずきました。
「でも、ヘンなのよ。水子って胎児の霊でしょう。私の前に現れるのは3歳くらいの子どもなの」
「水子って、赤ちゃんだとは限らないのよ」
「えっ?」
 意外そうな顔で、明美が私を見上げます。
「とにかく、初めて霊が現れた日のことから順序立てて話してくれる?」
「う、うん……」
 明美は、水子との出会いから今日までのことを、こんな風に話してくれました。これからご紹介するのは、明美の独白そのものです。

 それは、妊娠一ヶ月目を迎えたころのこと。
 その夜、夜勤に出かけた裕之さんを見送るとベッドにもぐり込み、雑誌を読みながらいつのまにか眠ってしまいました。
 2時間くらいうとうとしたのでしょうか。午前2時ごろ、ふっと目が覚めてしまいましたが、本格的に眠ってしまおうと室内の電気を消した、その瞬間のことです。
 マンションの外廊下から小さな自転車をこぐようなキイキイという音が聞こえます。
「何の音だろう」
 玄関のドアについた小さなのぞき窓からコンクリートの廊下を眺めました。しかし誰もいません。気のせいだったのでしょう。寝室に戻ると、また自転車をこぐ音がします。しかもその音は部屋の前で止まりました。
「誰?」
 玄関に戻って、思い切ってドアを開けても誰もいません。
 気味が悪い。そう思った私は、勢いをつけてドアを閉めました。すると、突然、テレビがついて、故障時のような映像が流れ始めたのです。ぞっとして、急いでテレビを消しました。そして電気を消し、再び眠りに就くことに……。
 そのとき、今度はいきなりラジオが鳴り出しました。わけのわからない言葉で、誰かが怒鳴るように話しています。私は、ラジオのスイッチを消し、気のせいだ、と思うことにしました。
 しかし、この日を境に、次々と起こる奇妙な現象が私を悩ませることになったのです。  翌々日、裕之さんが夜勤の日の深夜2時になると、また、小さな自転車の音がします。私には、なぜか直感で自転車が三輪車であることがわかりました。その音は、しだいに近づいてきます。そして、部屋の前で子どもが三輪車から降りる運動靴の音がして、ドアに向かって歩いてくるのです。
 私は、布団を頭からかぶり、小刻みに体を震わせました。
  小さな子供が起きている時間ではありません。誰……誰なの……。
 そして、その翌々日にも、またあの音が……。
 油切れになったときの金属のかすれる音が、誰もいない廊下に不気味に響き渡ります。
 怖がっていても仕方がないと思った私は、正体を確かめてやろうと意を決して、思い切りドアを開け放ったのです。
 その瞬間、ひやりとした冷気が体を包みこみました。
 異様な冷たさです。しかし、廊下には右を見ても左を向いても、誰もいません。薄気味悪くなった私は、すぐにドアを閉めようとしました。
 その時です。小さな昆虫が足元からはい上がってくるような、幾万もの蟻が払いのけても払いのけても、足元からはい上がってくるような感覚に襲われました。
「……」
 足元を見ると、子どもの顔が見えます。
「誰?」
 私はその子を押し退けてドアを閉めました。玄関に鍵をかけると、ドアに背を預けたまま大きく深呼吸して、「助かった」と一息つこうとした思ったその瞬間です。鉄のドアから生えてきた二本の腕が、私の両頬をものすごい力ではさみ込みます。
 そして、耳元で「ねぇ、遊ぼう」と、小さな男の子の声がしました。
 ゆっくりと声のする方向に顔を向けると、肩に男の子の顔がのっかっています。視線を合わせて微笑む顔は、この世のものではありません。
 人間は本当に恐怖を感じると、体が硬直して声が出なくなるものだということを知りました。
  声にならない悲鳴を心の底から上がってきます。「助けて」。
 そのとき、突然、ラジオが鳴り出しました。びっくりして音のする方を見ると、ベッドの上に男の子が立っています。さっきまで自分の肩に乗っていた3歳くらいの男の子が、半透明の姿で、ベッドの上に三輪車をのせて遊んでいるではありませんか。
「あなたは誰なの?」
 震える声で聞いてみました。すると、突然、ラップ音がして、ラジオのノイズがやんだのです。
 重たい静寂のなかで、男の子は後ろむきになって黙って立っています。やがて、ゆっくりと振り向いた男の子の顔は、私を睨みつけて白目をむくと、つかみかかってきました。
「お願い、やめて」
 必死で突き放そうとしても、半透明の体はすり抜けてしまうだけ。それなのにつかまれた腕はひどく痛いのです。
「なんでこんなことするのよ」
 涙声になった私を見ると、その子は力をゆるめて、パジャマのボタンを引きちぎると乳房を両手にかかえて、まるで赤ちゃんのようにしゃぶり始めました。
「お願い……やめて……」
 悲しくて、涙がこみ上げてきます。
「いやなのよ」と懇願すると、男の子は淋しそうに振り返りながら三輪車に乗り、水道の蛇口に向かっていきました。そして、あっという間に蛇口に吸い込まれてしまったのです。
 やがて臨月がきて、出産しました。産婦人科の病室は4人部屋なのに、なぜか同室者が入ってきません。「あそこは気味が悪い」と看護婦も避けていると聞きます。それもそのはず。一人になると、あの子が毎日、病室に現れるようになったのです。

「そろそろ出てくる時間だわ」
 話しを終えた明美が、吐き出すようにつぶやきました。
「もっとも、ここでは窓の外からじっと私を見ていたり、天井を逆さになって三輪車で走り回ったりするだけなの。でも、気味の悪いことに変わりはないわ」
「私、どうしたらいいの……」
 落ち着いた口調で、ゆっくりとこう言いました。
「明美、水子供養はちゃんとしたの?」
「もちろんしたわよ」
「それは、3年前のことなのね」
「ええ……」
  彼女は、哀しそうな顔で私を見つめました。
「ねぇ、明美。どうしてその子が自分の堕ろした赤ん坊だとわかったの?」
「なんとなくわかるの」
「……」
  かける言葉もありません。涙ながらに訴える明美の顔には、も恐怖と苦痛が広がっています。明美は、ほんとうに苦しんでいるのです。
 なんとか救ってやりたい。そう思った私は、中絶したときの経緯を事細かに聞きました。
「彼と別れたのは、浮気が原因なの。ほかに女の人がいると知ったときのショックはたいへんなものだった。死んでやろうと思ったわ」
「相手は誰だったの?」
「彼の遊び友だちで、ずっと年下の今風の女の子だった」
「彼も年下だったよね」
「そう。私とは5歳も違ってた。音楽をやっていたわ。好きなことを一途に追いかけていく姿勢にひかれたの。尽くしたのに、ショックだった」
  当時のことを思い出したのか、瞳が涙で潤んでいます。
「恨んだでしょう」
「それがね。年上なものだから、浮気心も受け止めるようなふりをしちゃったの。どうせ遊びだと思っていたし……」
「じゃあ、どうして別れたの?」
「やがて、彼はその子とは別れたんだけど、また別の女の人ができたの。今度は本気だったらしくて、ある日、戻って来なくなった……」
「彼はいなくなったけど、お腹には赤ちゃんができていた……ってこと?」
 明美が小さくうなずきます。
「それが3年前なのね」
 再び、明美は首をたてに振りました。
「そのころ、どんな気持ちで毎日を送っていたの?」
「彼が憎かったわ。憎くて殺してやりたいと本気で思ってた」
「愛して、尽くしていたのに浮気され、逃げられてしまったんだものね。おまけに妊娠までして……」
「この世の辛さを、ぜんぶ背負ったような気分だった」
 私は、そっと明美のそばに座り、手を握って言いました。
「いまでも、彼と付き合ったこと、後悔してる?」
「あのころのことを思い出すと、目の前が真っ暗になるの」
 明美が大きなため息をつきました。
「だから、水子が出てくるのよ」
「えっ?」
「だって、そうじゃない。親の都合で殺されたのよ、その男の子は。それなのに、ママはいまでも当時のことを憎んでいる。しかも、小さな命を闇に葬ったことより、お父さんとのことばかりを悔やんでいる。私が水子でも、ぼくの存在はなんだったの、って言いたくなるわね」
 あまりにも水子が可哀想です。
「その男の子は、あなたに忘れられたくないから出てくるのよ。生まれたばかりの赤ちゃんのお兄さんなのよ」
「……」
 私は一生懸命に説明しました。なぜ水子が3年も経ったいまになって出てくるのかを。
「男の子は、あなたのそばで成長してきたのよ。男の子が住むはずだった家庭には、新しい赤ちゃんが生まれて、自分のときとはうってかわった喜びようのあなたの姿に、不安になっているのよ。淋しいのよ。だから出てきたの」
 明美は、肩を落として泣き出しました。

 その後、明美は、京都のはずれにある化野念仏寺から私に一枚のハガキを送ってきました。
「裕之さんにもすべてを話し、霊を弔いに来ています。元気になったら、また、会いたいな。明美」
 私は、そのハガキを机の前に置き、祈りました。
「どうか、赤ちゃんを連れて行っていませんように」
 なぜなら、あの寺には、幾万もの無縁仏の霊が、今日もさまよっているのですから。

恐怖話/『病院の怪談』: 概要
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雨の日にさ迷う怨念の髪の毛

 25歳になる堤久美子さん(仮名)は、髪の毛を見るのが怖いのです。お風呂の排水口に溜まった髪の毛も、部屋の絨毯に落ちた自分のものも神経質に拾って捨ててしまわないと眠れません。夜勤明けの疲れた日にも、掃除機をかけてから仮眠をとります。料理に髪の毛が一本でも落ちていようものなら、気が違ったように怒りだす久美子さん。その様子をみかねた、お母さんの博子さんが相談にきました。
 私は、お茶に呼ばれたふりをして堤宅を訪ね、忘れることのできない話を聞くことになったのです。
 その話とは……。

 看護学校を卒業した私は、国立の大きな病院に勤めはじめました。
 大病院での仕事はやりがいもあり、瞬く間に3年が経過。看護婦という仕事にも慣れてくると、もうすこし小さな病院で患者さんとていねいに付き合いながら仕事をしたい、と思うようになりました。そんなある日のこと、実家にもほど近い敬慶病院に看護婦のあきがあるといいます。一人暮らしの不便さがうとましくもなっていた私は、実家から通えるこの病院に変わることにしたのです。
 桜の花が咲いたばかりだというのに、初日は嵐でした。
 病院の門をくぐるころには、ますます雨雲が重たくのしかかり、カミナリが鳴り出しました。強風にあおられて傘が飛び、ずぶ濡れのまま更衣室に駆け込んだあの日のことを、いまでも忘れることができません。
「おはようございます」
 私が声をかけると、先輩の長野ちづるさんと小川純子さんの二人がナースキャップを髪にとめながら、私の方を振り返りました。
「はい、おはよう」
 と、いかにも年長者の素振りをみせるのが長野さん。小川さんは、私の方をチラリと見て、
「ショートカットの人でよかったわ」
 と、妙なことを言い、身震いしました。
 白衣に着替え、髪を整えた私は、窓辺に近寄って空を見上げました。
「いつまで降るんでしょうね……」
 何気なく引き寄せたカーテンに長い黒髪がついています。
「あら、嫌だわ。こんなところに髪の毛が……」
 そう言って、私が髪をごみ箱に捨てていると、長野さん、小川さんの二人が首をすくめている様子に気がつきました。
「どうかしたんですか?」
 私の質問には答えず、耳をおおうようにして、二人はそそくさとナースステーションの方に駆けていきました。

 翌日は快晴でした。春の木漏れ日もまぶしくて、病院までの並木道の新緑も雨に洗われてとてもきれいです。
 ところが、病院に着くころになると、また、ポツポツと雨が降り始めました。
 昨日と同じように更衣室に入り、白衣を取り出してみると、胸のところにびっしりと長い髪の毛がいく筋もついています。
「へんだわ」
 その日は、小川さん一人が着替えをしていました。私の方に駆け寄ると、耳のそばに口を寄せて、
「この病院、出るのよ」
「出るって?」
「幽霊よ、幽霊……」
「そんな、まさか」
 静かに、という素振りで、唇に人指し指を立てながら小川さんが、
「その髪の毛……」
 と私の白衣を見て、白衣の髪の毛が幽霊のものだといわんばかりの仕種をします。
「怖い、怖い」と小川さんは身を震わせて、更衣室を出て行きました。

 昼休みになりました。
 その日の夕方、有名シェフのレストランでの食事の約束を友だちとしていた私は、銀行にお金を下ろしにいくために更衣室に立ち寄りました。ドアを開け、ロッカーからバックを取り出し、財布に手をかけたとき、誰かの視線を感じました。誰かが悪意をもって私のことをを見ているのです。まるで、背筋に氷を入れられたよう……。
 しかし、見渡しても誰もいません。
「気のせいだわ」
 気を取り直してロッカーを閉めたとたん、また、あの視線です。素早く振り向くと、カーテンが揺れています。
「なんだ、窓が開いてたんだ…」
 軽いため息をついてカーテンに近寄り窓を閉めようとしました。ところが、窓はきっちり閉まっています。
「へんだな」
 窓を押したりしながら鍵のかかっていることを確認しているところに、長野さんが入ってきました。
「何をしているの?」
「それが……窓は閉まっているのに、風が入ってくるんです。すき間風かなと思って……」」
「そんなことないわよ。この棟はまだ新しいもの」
「でも、カーテンが揺れてましたよ」
「勘違いじゃないの?」
「そうでしょうか」
 腑に落ちないものを感じながらも、「失礼します」と私は更衣室を後にしたのです。
 それから数日が経ち、また雨の朝がやってきました。この日は早朝会議があるとかで、先輩たちは着替えを済ませ、ナースステーションで待機しています。
「急がなくっちゃ」
 大急ぎで着替えを終えて部屋を出ようとしたとき、またカーテンが揺れています。
「やっぱりすき間があるんだわ。雨が入ってきちゃうじゃないの」
 力強く窓を引いた私は、拍子抜けしてしまいました。窓は、きっちり閉まっていたのです。カーテンは揺れていたけどなと思いながら、何気なくカーテンを引き寄せると、そこには長い髪の毛がびっしりと付着しているではありませんか。
「何、これ…」
 誰かのいたずらかな、とも思いましたが、この病院に長い髪の毛の看護婦はいません。「じゃあ、患者さんの……」
 あれやこれや考えながら髪を拾い集め、とにかくごみ箱に捨てて、そのときはそのまま更衣室を後にしました。

 その日の夕方のこと。早番と遅番の交代でごった返す更衣室で、私は大きな声で注意しました。
「皆さん、聞いてください。今朝、カーテンに髪の毛の束が付着していました。誰がやったか知りませんが、こんないたずらをするのはやめてください」
 語気を強めることなく、軽い口調で言ったつもりでした。しかし、その場は不思議なくらい静まり返ってしまいました。
 まずいことを言ったんだろうか、と不安になって周りをみると、何やらヒソヒソ話を始めたではありませんか。
「どうしたんですか……」
 返事がありません。
「何か悪いことを言ったんなら謝ります。でも、ほんとうに髪の毛が付いていたんです」
「私も気になっていました」と竹下さんがものすごい勢いで話はじめました。
「変だと思われるから黙ってたんだけど……、その髪の毛……いくら取っても、またカーテンに付いてしまうの」
 更衣室のなかがざわつき始めました。そして、長野さんが落ち着いた声で、
「おそらく亡くなった岩坂真美さんのものよ」
 と言うのです。
「岩坂さんはね。ここの看護婦だったの。患者さんからも慕われるほどのきれいな人で、ロングヘヤーが自慢だったわ。タレントの浅野温子に似ていると評判だったの」
「その人、亡くなったんですか?」
 と私が尋ねました。
「そう、自殺したのよ。軽い交通事故で入院していた渡辺一晃という男性と親しくなってね。でも、浮気性だったのね、その人……」
「……」
「彼女、ノイローゼになっちゃってね。病院に出て来なくなったの。というのも、岩坂さんと仲の良かった平沢裕子さんという看護婦ともできていたことがわかってね。平沢さんはずるいから、うまくすり寄って自分のものにしちゃったのね」
「それで……」
「みんなは信用しないかもしれないけど、岩坂さん、毎晩、呪いのわら人形を持って平沢さんの家の前で呪文を唱えていたそうよ。そんなことを繰り返す岩坂さんを渡辺さんが気味悪がってね。会いたくないと言ったのよ」
 着替える手を休めたまま、看護婦たちは長野さんの話に聞き入っています。
「翌朝、雨の降る日だったわ。出勤する平沢さんの目の前で、岩坂さんは長い髪の毛を握りしめたまま、屋上から飛び下り自殺したの。コンクリートに打ちつけられた岩坂さんの頭髪は3分の1が抜けてなくなり、頬はこけ、白目を剥いて死んでいたわ」
「平沢さんは、どうしたんですか」
 私は、息せき切って尋ねました。
「いま、あなたの後ろにいるわ。結婚して姓が変わったけど、婦長の渡辺さん、あなたに良心はあるの?」
「そんなことを言っていいの?」
 と渡辺婦長の重たい声が響きました。
「ええ、私、今日限りで、この病院を辞めるから」
 そう言ったまま、長野さんは更衣室を出ていきました。
「私も、辞めさせていただきます」
  その日以来、敬慶病院には行っていませんが、髪の毛が怖くてしかたがなくなったのです。
 
 話し終えた堤久美子さんは、がっくりと肩を落としました。
「うっかり同情してしまったんです。そしたら、そのころの話を聞いて欲しいらしくて、ほら、あそこに、今日も岩坂さんが立って、自分の髪の毛をむしりながら置いていくんですよ」
 久美子さんの部屋の窓の方をみると、髪の毛をむしりながらカーテンに自分の髪を付けている女性が振り向き……、
「あなたも聞いてみたいでしょう。私の恋の物語……」
 そうつぶやき、白目を剥いたままニッと微笑んで……。
?
廃墟の病院には必ず…

 テレビの心霊特集で、廃墟となった病院を探検するという企画をよく目にします。関東では、東京の八王子と神奈川の相模原にある病院跡が心霊スポットとして全国的に有名で、知らない人はいないのではないでしょうか。
 いったいなぜ、そんなにテレビや雑誌に取り上げられるのか? それは、本当に出るべきものが出るからです。この世に存在すべきではない悪霊がそこに本当に居ついているからです。
 実際、私も相模原の病院跡にプライベートで行ったことがありました。しかし、入る直前で強烈な吐き気に襲われて断念したものです。「ここへ入ればとんでもない目に遭わされる!」……私の霊力が、体を通してそこに潜む危険性を本能として教えてくれたのかもしれません。
 私に限らず、霊感の強い人なら、そこにある本物の危険を察知することができるはずです。だから、決して興味本位で入ったりはしません。しかし、霊感のない無謀な若者はそんなことお構いなしで入っていきます。
 以前、そこへ肝試しで行った二十歳の女の子が、原因不明の具合の悪さに襲われたとかで私のところへ相談しにきたことがあります。視ると、その子の肩には頭が半分欠けて、崩れた脳みそを剥き出しにしたおじいさんの霊がしがみついているでは
ありませんか! そして、恨めしそうな目をして、耳たぶをかじったり舐めたり……。
 結局その子は中途半端な霊感があったために、そのおじいさんの霊に頼られてしまったのです。
 私は簡単な除霊方法を教え、何よりも二度とそのような霊スポットに行かないよう警告しました。
 それほど病院跡というのは侮れない場所なのです。だから、私はよほどのことがない限り行かないようにしています。しかし、知らないで足を踏み入れてしまうことも……。

 あるテレビ局の番組ロケで、心霊スポットに行くことになりました。どこへ行くのか詳しいことは聞かされていません。ただ、○○県の小さな森の中に古びた校舎があり、地元の子ども達が「お化けが出る」と騒いでいるらしいとのこと。その噂が本当かどうか私の霊力で探ってくれというのです。
 学校なので、そんなに恐ろしい霊はいないだろうと、私は高をくくってロケバスの中でぐっすり眠りこけてしまいました。そのときは、まだ心に余裕があったのです……。
「千葉ちゃん、もうすぐ着くよ」
 スタッフの声に目を覚まし、窓の外に目をやります。どのくらい眠っていたのでしょうか? あたりはすっかり夕暮れの風景になっていました。
 ロケバスの窓から見える景色はのどかな田園地帯。左右を田畑に挟まれた道をひたすらまっすぐに走り続けています。そして、この道の先には小さな森があるみたいでした。
 木々の中を走り始め1分もしないうちにロケバスは現地に到着しました。
「着いたよ。みんな降りて」
  スタッフの声に促されて外に出るとひんやりとした風が……。季節は初秋ということもあって、体を包み込む空気は肌寒さを感じさせるほどです。でも、その寒さとは別の寒さを私は感じていました。イヤな予感による寒さとでも言うのでしょうか……。
 そして、ふと目の前にあるものを見ると
「うわ~、こんな所にこんな建物が!」
  全体を蔓に覆われた古びた木造の二階建て校舎がありました。実際建築されたのは昭和の初期頃なのかもしれませんが、外観だけ見ると大正ロマンを彷彿させるようなおしゃれな作りになっています。今でこそあっちこっちと崩れてはいますが、昔はきれいな建物だったというのが充分にうかがえます
  校舎全体としてはそんなに大きくなく、一学年が一~二クラスくらいのこじんまりしたものだったようです。
  それにしても、木々の間からこぼれる夕日に照らし出された校舎は、古びているとはいえなかなか絵になるもの。とても霊が出るような雰囲気ではありません。あくまでも見た目だけですが……。
「ここは本当に学校だったんですか?」
 私の問いに、一人のスタッフが答えてくれました。
「そうらしいですよ。なんでも海外からの留学生なんかを教えてたとか」
 なるほど……。だからこんなにオシャレな造りになってたんですね。私は納得しました。
「よし、始めるぞ!」
 ディレクターの声とともに撮影の準備が始まりました。……と、そのときです。どこからともなく一匹の猫が私に近寄ってきました。
「うわ~、可愛い!」
 よく見れば、まだ仔猫です。それにとても人なつっこい。なでてやるとグルグルと声も出します。猫好きの私としては、仕事前に気分をリフレッシュされた思いです。
「はい、いくよ!」
 いよいよ撮影が始まり、スタッフが建物の中に入って行きました。私も猫を足元において後に続きます。しかし、中は真っ暗なので、どこに何があるのか分かりません。
  ようやく目が慣れた頃、最初に目についたのは大きな配水管。いきなり入った部屋はどうやらボイラー室みたいです。 
 そのとき私は、そこに何やら黒い塊みたいな物があるのことに気づきました。形はハッキリ分かりませんが、太鼓くらいの大きさのものが、微妙に左右に揺れ動いています。
 カメラマンの人は、私がそこに興味を示すものだから、一緒になってそこにカメラのレンズを向けています。しかし、彼には何も見えていない様子。
 しばらくじっと見ていると、その黒い塊は少しずつ少しずつ移動しているのが分かりました。とても不気味な感じがします…。だいたい、そんな得体の知れない物体が、目の前でジリジリ動いてたら誰だって気持ち悪がるものです。それに、なんとなくイヤな予感が働きました。
「この部屋……やめませんか!」
 私のひとことが部屋の中で無気味に響きました。
  別にそんな効果があったからではないのでしょうが、誰一人反対することもなく、黙ってその部屋から退散して行きました。どうやらスタッフも、見えなくても何かを感じていたのでしょう。
  しかし、部屋から出る際、照明さんが持っていたライトが、たまたまその黒い塊を照らしてしまいました。
「いけない!」
 私はとっさに叫びました!……が、間にあいません。そして、見てしまったのです。
「な、何あれ……?」
 思わずそう思いました……。
  そこに照らし出された黒い塊は犬みたいな形容をしており、その顔は男か女か性別不能な面持ちをいています。そう、まるで人面犬みたいな……。しかし、こっけいな雰囲気は微塵もなく、かなり狂暴なイメージが!
  黒目は点のように小さく、目の下にはうっすらとした隈……。その目つきだけでも怖いのに、口からはみ出してる歯を見ると余計にその獰猛さが分かります。一本一本サメのようにとがっていたからです。口の端からは飢えた狼のようにツツーと一筋のよだれが……。
  しばらくすると、その人面犬は照らしてしまった照明さんの頭上にぴょんと飛び乗りました。まるで豹のような身軽さで。そして、ガリガリと頭を喰い始めるではありませんか。鋭い歯が何度も何度も頭に突き立てられ、見ているだけでかなり痛そう。だが、本人は何も気づいていないし感じてもいません。どうやら、その姿が見えているのは、未だに私だけみたいでした。
  人面犬はひとしきり頭をかじると、さっと飛び降りてどこかに走り去っていきます。そのすごいスピードで。とにかくあっという間の出来事に、私はただ呆然とするだけでした……。
  それにしても、あれはいったいなんだったのでしょう?  さすがに私もあの正体だけは皆目見当がつきません。
「ねぇ~、きみ……。気持ち悪くない? 頭が痛くない?」
 私はその照明さんに尋ねました。
「えっ? 大丈夫ですけど……」
 彼は“なぜ自分がそんなことを聞かれるんだろう?”というような不思議な顔をして答えを返します。まっ、本人に何の自覚症状もないのなら大丈夫なのかもしれませんが……。

 私たちは次の部屋を目指しました。その途中です。廊下の壁に赤い字で落書きがしてありました。
『私、死にたいの』
 ……と。何の変哲もない落書きなんですが、赤いペンキか何かで書かれたその文字はしずくの跡もついていたため、血のりで書いたように見えなくもありません。ひょっとしたら自分の手首かどこかを切って、そのときの血で書いたものかも……。
 それを見た直後、突然ものすごい冷気を感じました。どうやら廊下の突き当たりから流れてくるようです。見ると、その先には鉄の扉が!
 慎重に進みその扉までやってくると、とりあえず開けてみることにしました。
  取っ手を握って手前に思いっきり開きます。そして、すぐさまライトを照らすと……そこはまた廊下が続いていました。しかも、この廊下の左右には小さなたくさんの扉があったのです。
「左右に部室でもあったのかな~」
 そんなことを思いながら廊下を通り過ぎようとした時、突然ものすごい殺気がしました。まるで、全身を針で突き刺されたような異常なほどの!
  左右にある扉はすべて開けられたままになっているのですが、どうやらこの殺気は部屋のすべてから出ているようでした。
 ライトを照らしてますが、光はせいぜい3メートルくらいしか届かず、奥の方は真っ暗なままでぜんぜん見えません。
 そのときです。廊下の先の方で、青白い光がゆっくり流れていくのが見えました。他のスタッフもそれに気づき、カメラも慌ててそれを追います。と同時に、それぞれの扉からいきなり出てくる物が!
 霊です!
「出てきたよ。みんな気をつけて!」
 私はみんなに注意を促しました。先ほどみたいに何が起こるか分からないからです。しかし、そこに現れた霊を見て、ふと疑問を持ちました。というのも、学校と関係のある霊には見えなかったからです。
 例えば、最初に目の前に現れた一体の霊は軍人さんみたいでした。年は歳前後でやや小柄の男性。顔は帽子を少し深めにかぶっているのではっきりとは特徴がつかめません。服は軍服で、そのボロボロになっている状態から死んだときの状況が想像できます。それにしても、彼はこちらに向かって敬礼をしたままずっと立っています。いったい誰に、なんのために敬礼しているのでしょう?
 また別の扉からは、白衣を来た医者らしき人が出てきました。片手を高く上げて、じっとこちらを見ています。そして、よくよく見ると、その手のひらには何かが載っているようです。
「何あれ?」
 凝視してみて驚きました。それは赤ちゃんだったからです。しかも、まだ産まれて間もないと言った感じの……。医者も赤ちゃんもピクリとも動かないのですが、妙にリアルな存在感がありました。
「ほんとにここは学校だったの?」
 私の疑問はますます深くなっていきます。今までいろいろな霊スポットに行って霊を見てきましたが、こんな場違いな出現の仕方はなかったからです。
 私が疑問と戸惑いにとらわれているとき、一人のカメラマンが、突然「帰りたい……」と言い出しました。見ると、顔は強張り、半袖の先から出ている腕には鳥肌が……。膝も小刻みに震えています。レンズを通して何かが見えたというのではないようです。察するところ、どうも彼には本人さえ知らない多少の霊感があり、たとえ霊そのものの姿が見えなくても存在感は感じることができるみたいでした。
 しかし、その様子を見て、逆にディレクターはおもしろいと思ったらしく「もう少し粘る」と言うのです。そのためカメラマンも仕方なく再びカメラを回し始めます。
 だけど私も、やっぱりやめた方がいいと思いました。なぜなら、扉という扉から次々と霊が出てきたからです。しかも、みんな負傷しているらしく、体のあちこちに包帯を巻いています。まるでケガ人ばかりの霊です。そして彼らは……
「うう~……、うう~……」
 と、痛みに耐えるような苦しそうな声をあげています。
 顔全体を包帯で包みながら、四つんばいになって這っている者……、片足を切断されフラフラと立っている者……、胸が裂けてそこから飛び出てる心臓をブラブラさせている者……、空洞になった目から血を流し、手のひらに自分の目玉を捧げ持っている者……、首と体が切断され、皮一枚でつながった状態でいる者……その霊は今にも落ちそうな首をグラグラさせながら歩いています。他にも胎児が這っていたり様々なものが……。そして、廊下に溢れんばかりに膨れ上がった霊たちは、まるでゾンビの集団みたいにこちらに向かってくるのです! あまりにも恐ろしい光景に私は戦慄しました。
「やっぱりやめたほうが……」
  ディレクターにそう言おうとしたとき、突然声が出なくなってしまいました。気がつくと体も動きません。私としたことが不覚にも金縛りにかかってしまったのです!
(早く逃げて!)
  そう叫びたかったのですが、声になって出ません!  そうこうしているうちにゾンビのような霊の集団は少しずつ近づいてきます! 
  しかし、それが見えていないスタッフは悠然と構えて撮影を続けています。
(このままじゃ大変なことになる!  早く逃げて!)
  いくら叫べどもどうにもなりません。
  そのうち頭が半分割れて脳みそが剥き出している一体の霊が、私の目の前にやってきて立ち止まりました。しばらく無表情のまま私を見つめています。しかし、突然霊の右目がグラグラ揺れたかと思うと、生卵を割ったようにだらりと下へ垂れ下がっていくではありませんか。さらに、空洞となった眼底からは白く小さなものがうじゃうじゃと……。うじ虫だ!
  あまりの気持ち悪さに思わず嘔吐感が!  しかし、それはまだ序の口。ふと下の方に目をやると、包帯だらけで四つんばいになって這っていた霊が足元まで忍び寄っていたのです。そして、ゆっくりと手を伸ばし私の足首をぐっと……!
  ひんやりとした感覚が足首から伝わってきます。それだけでも気持ち悪いというのに、その霊は、今度は大きく口を開けて足にかぶりつこうとしているではありませんか!
(いや~っ!  助けて!)
  私がこんな怖い目に遭っているというのに、周りにいるスタッフたちは何も気づかず、誰も助けてくれません!  下を見ると……大きく開かれた上下の歯が粘液質のよだれで糸を引いています!
(もうだめ!)
  そう思った瞬間……
「ミャア~」
 突然、さっきの仔猫が私の足元に絡みついてきました。と同時に私の金縛りが解けたのです。
「早く逃げて!  すぐそばに霊がいるよ!」
  私が大声で叫びと、スタッフは全員ドキッとし、慌てて逃げ始めました。私も仔猫を抱き上げ、後に続きます。
  全員が出たのを確かめ、鉄の扉が鈍く大きな音を立てて閉められました。
  恐怖感がいっきに心臓の鼓動を早めたのでしょうか、そんなに走ったわけでもないのに皆呼吸を荒げています。冷や汗も流しながら……。
  あのまま金縛りが解けなかったら、私もスタッフも霊にとり憑かれてどうなっていたか分かりません。私は猫に感謝しました。
「ひょっとして、おまえは私を救ってくれたのかな?」
 そう仔猫に問いかけてみましたが、愛くるしい目で私を見つめるだけでした。

 帰りの車中でスタッフの人に聞いてみました。
「あそこは本当に学校だったんですか?」
「ええ、そうですよ。でも、それ以前は病院だったらしいですよ。それを改築して学校にしたんですが、お化けが出るとかいう噂が広がって、結局経営がうまくいかなくてつぶれたということです」
 なるほど……と思いました。やっぱり元は病院だったんです。それに、お化けが出るという噂は、噂ではなく本当だったということです。
  病院の跡地に学校が建てられるというのはよくある話。ここもご多分にもれずというやつでしょう。これは私の推測ですが、あそこにいた霊たちは戦時中に負傷して運ばれたものの、無念のうちに亡くなったものと思われます。そして、廃院になった後、供養をしないまま学校に転換。結果、負傷姿の幽霊が出るようになったというわけです。
  それにしても、初めから元病院だということが分かっていれば、わざわざ来なかったものを……。
  ところで、これは関係があるのかどうか分かりませんが、この撮影VTRを放映した後、番組が突然つぶれてしまいました。それも、はっきりとした理由を何も教えてくれません。祟り……というふうに結びつけるのは考え過ぎでしょうか?
 それに、あの頭を食べられたスタッフですが、取材直後に姿を見せなくなったそうです。脳死状態になって倒れたとか、発狂して入院したという話も聞きますが定かではありません。どっちにしても無事ではないのでしょう……。

 廃墟となった病院にまつわる話では、私の友人も恐ろしい体験をしています。仮にAさんとその友人ということにしておきましょう。
 ある夏の夜のことです。Aさんは、自分のマンションに三人の友人を招いてドンチャン騒ぎをしていました。
 夜もどんどん更けていき真夜中の1時を過ぎた頃、誰かが「きもだめしをやろう」と言い出したのです。酒の勢いもあり、友人三人は「よし、やろう!」と賛同したのですが、Aさんだけは気乗りがしません。
「やだよ。俺は行きたくない……」
  Aさんは直接霊を見たことはないのですが、直感的な霊感はあるらしく、変な気配や変な感じがすると必ず体の一部分に鳥肌が立つというのです。全身にではなく、あくまでも一部分にだけ……。実はこの時すでにイヤな予感がして鳥肌が立っていたのですが、そんなことを知らない友人はAさんをバカにします。
「おまえ、怖いの? だっせ~!」
「いい年こいて、お化けが怖いってか? ハハハハ!」
「根性なし!」
 ここまで言われるとAさんも黙ってはいられません。
「分かったよ。行けばいいんだろ、行けば!」
 と、答えてしまったのです。しかし、Aさんはのちのち返事をしたことを後悔することになります。
 さて、肝試しの場所はマンションから数分歩いたところにある、廃墟となった病院に決まりました。近所の人は……
「あそこは祟られてるよ」
 と、よく噂をしているほど有名な場所です。
  そこは5年前までベッド数の少ない小さい病院だったのですが、入院患者がやたらと急死することで悪評が広まっていたとのこと。当然、やぶ医者というレッテルを貼られ、患者もどんどん離れていきすたれる一方に……。そして、院長が謎の自殺を遂げてから、すぐに廃院になってしまったのでした。そういう過程があるだけに、いつしか勝手に「お化けが出る」という噂が一人歩きしてしまったのです。それゆえに、その噂は曖昧なもので確証はありません。しかし、なかには実際に霊を見たという人も……。
  そのようにあまりにも評判が悪かったため、後の買い取り手がなかなか見つからず、最近になってようやく取り壊しが始まったといういわく着きの病院だったのです。
 さっそく四人はそこへと向かいました。昼間に見ると小さい病院も、真夜中だと大きく見えるから不思議です。ただの恐怖心がそうさせるのかも知れませんが。
  時間は夜中の1時過ぎということもあり、あたりはひっそりと静まり返り、不気味な雰囲気をいっそう醸し出しています。また、取り壊しの最中ということもあり、その過程で入ったと思われる壁のひび割れが気味の悪さを助長させていました。
 さて、意を決して四人は中に入っていきます。意外に取り壊しの方は進んでいるようで、足元はかなりおぼつかない状態です。ましてや中は真っ暗闇。そのなかを歩いていると、ある部屋が目につきました。おそらく診察室だと思われます。
「ここおもしろそうじゃん。入ってみようぜ」
 恐る恐る中に入る四人……。すると、目の前の壁に何やら黒い影が浮き出ているではありませんか。よく見てみようと近づいてみると、それはスプレーで書かれた落書きでした。
『ここには霊がいます』
 そう書かれていました。誰が何のために書いたか分からない謎のメッセージ……。全員が思わず息を飲み、顔を見合わせます。
 と、そのときAさんが壁を指差し……
「ああああ……!」
 声にならない声をあげ、顔は恐怖で青ざめています!
「どうした!」
 友人が指を差された方の壁に目をやると……
「!」
 そこには青白い顔をした女の人の姿がくっきりと浮かび上がっていたのです! 寝巻姿……、腰までかかろうかという異様に長い髪の毛……、半目……。そして、お世辞にも決してきれいとは言えない顔……。
  さらに、その背後からは小さな角を生やした小鬼みたいなものが見え隠れしています。まるで、地獄の底から這い出てくるようのもがきながら……。
  全員肝を抜かして、その壁の霊に釘づけになりました。
そして数秒後、いつしか軽い金縛り状態となり固まっていたみんなの前で、その女の霊は吸い込まれるように壁の中にと消えていったのです。
 全員声を失っていました。腰が抜けて逃げることも……。
 しばらくして一人が我に返り、再び恐怖じみた声をあげます。
「あっ……あれなんだ……?」
 霊が消えた壁のところに何かが残っていたようです。懐中電灯でそこを照らしてみると、それは文字らしきもの。近づいてよく見ると、確かに何か書いてあります。しかし、ほこりがかぶっているのでよく分かりません。そこで、Aさんがふっと息を吹きかけ手でこすってみると、そこには多くの漢字が壁いっぱいに書かれています。
「なんだこれは?」
 誰かがつぶやき、それを見てAさんが答えました。
「これはお経だよ」
 確かにお経です。みんなは再び声をなくし、黙ってすごすごと部屋を出ていきました。冷やかし半分で来る所ではないということが分かって……。そして、病院の外に出ると、誰ともなく手を合わせて拝んでいたそうです……。

 私がこの話を聞いてとても怖いなと思ったのは、『耳無し芳一』を思い出したからです。
 この有名な怪談話『耳無し芳一』は、毎晩やってくる平家の落武者の霊から守るために、住職が芳一の体中にお経を書き、霊から姿を見えなくして守ってやろうとしたのですが、唯一耳だけ書き忘れ、そのために耳をもぎ取られたという話です。たいていの皆さんが知っていることと思います。
 ということは、さっきの病院の話ですが、壁いっぱいに書かれたお経は、霊たちには見えない場所になっているということです。どこにその壁があるのだろうとさ迷っているのです。では、壁に映った女の人の霊はどうなったのか? 彼女にもその場所は見えないので、必死になって自分の存在を強調しようとしていたのでしょう。だから、浮かび上がってきたんです。
 何が言いたいのか?……つまりはこういうこと。あの部屋は、実は壁を通してあの世とこの世を行き来できる通り道だったのです。だから、当然たくさんの霊が集まってくる場所でもあったわけです。そのことを知った誰か(自殺した病院の院長かもしれません)が、壁にお経を書いて通り道をふさいだのでしょう。二度と霊が来ないようにと……。
 考えてもみて下さい。病院内で誰かが死んだとします。家族がいる人は葬式をしてもらえるので、当然霊の帰る場所は家になります。しかし、身寄りのない人はどうでしょうか? どこに帰ればいいのか分かりません。ということは、自分が死んでしまった病院内に帰る場所を捜し求めても当然といえます。
  そして、それがあなたの入院した部屋という可能性もありうるわけです。もし、あなたの部屋があの世とこの世の通り道だったらどうします?  毎晩、違った霊に脅かされ、最悪の場合あの世に引きずられてしまうこともあるんですよ。そうなったら……考えただけでも怖いですよね。
  入院するときは、自分で部屋を選べないし、霊のいる部屋かどうかなんて分かりません。だからせめて、何か変な感じがするなと思ったら即座に疑ってみて下さい。

恐怖話/『病院の怪談』: 概要
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